味わい深い大正時代の建物が、
新しく姿を変え現役で活用。

大正時代、名古屋の花街として栄え、その風情とともに歴史的建造物を多く留める中村区大門。大きな入母屋の屋根やべんがら塗りの透塀など、美しく華やかな面影は、今も街の個性として輝きを放ち続けています。まるで映画の世界のような大正時代の建物が、今も現役で使用されています。風情があり洒落た「蕎麦屋 伊とう」もその一つ。新しい建物では出せない渋い味わいが街に華やぎを与えています。

大正浪漫を感じる風情ある建物。
名古屋市の「都市景観重要建築物」指定。

旧遊郭 現「蕎麦屋 伊とう」/登録地域建造物資産 第52号

旧遊郭「稲本(稲本楼)」

旧遊郭 「松岡」
「松岡健遊館」/都市景観重要建築物等指定(旧松岡旅館)
公益財団法⼈ なごやまちづくり公社「名古屋歴まちネット」より

フランス料理「⼋雲」/

大正から昭和初期にかけて栄えた中村遊廓は、
日本屈指の規模を誇った花街。
その文化を受け継ぎ令和の現在、
新たな街として開発が進み生まれ変わって行きます。

大正時代に、大須の遊廓街を移転させることとなり、その移転先が中村と決められました。1920年3月から田畑だったところを整地し、約3万坪の敷地を造成、掘割で区画して遊廓を移転しました。また、整地する時に土が必要になり、区画のすぐ西側から採土され、ここが池となり「遊里ヶ池(またを弁天池)」となりました。しかし、この池も後に埋め立てられ、日赤病院が建てられました。3年後の1923年4月1日に開業し、昭和12年には最盛期を迎え、貸座敷138軒、娼妓約2000人にものぼり、当時その規模は「東洋一」とうたわれました。遊廓の敷地はほぼ正方形。今は埋め立てられ細い路地になっているが、徳佐川の流れで作った外堀が囲っていました。また、特徴的なのが正方形の敷地の四隅には斜めの道が作られています。これは“一般社会とは違う別世界”と、遊郭の中をのぞけないよう工夫されていました。遊廓は人の集まる場所に作られますが、一般の人が暮らす場所とは距離をおかなくてはならないという配慮から、こうした造りになったといわれています。敷地内には中央に本通り、それに直行するように北から「日吉」「寿」「大門」「羽衣」「賑」と通りの名が付けられ、今もそのまま、まちの呼称として残っています。北側が一番格式の高い妓楼。だいたい同じ大きさで8つに区切った敷地を1ブロックとし、力を持っているところは4ブロックを買い取って大きな妓楼が作られました。今も遊廓建物が一部に残っており、名古屋市の「都市景観建物」の指定を受けています。しかし時代の流れで、新しく活用される建物もあれば、惜しまれながら姿を消す建物もあります。跡地は開発が進められ、新しい街として生まれ変わっています。

旧遊郭「長寿庵(千壽)」
長寿庵/1993年名古屋市の都市景観重要建築物に指定。街の再開発により、2014年惜しまれつつ解体、今はその姿を留めていません。

旧遊郭「稲本(稲本楼)」
料亭 稲本/1993年名古屋市の都市景観重要建築物に指定。べんがら塗りの塀が象徴的な建物。再開発により2018年解体。新施設、建設予定地。

史跡 TOPICS

三英傑ゆかりの地、中村区。
今も街並みに薫る歴史の息吹。

かつて信長が幼少の頃過ごした「凌雲寺」、秀吉産湯の井戸が残る「常泉寺」など、三英傑ゆかりの神社・仏閣が多く残る中村区。「武将のふるさと」として親しまれ、戦国の世から人々が生き生きと暮らし続けてきた歴史ある地です。

1.常泉寺 2.稲葉地城趾 3.豊国神社 4.妙行寺 
5.凌雲寺 6.法蔵寺八角堂

※掲載の環境写真は2020年5月に撮影したものです。

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